北口本宮冨士浅間神社きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ

北口本宮参道入り口の大鳥居
本殿へ続く参道の入り口 一之鳥居

士登山の吉田口登山道の起点にあたります。由緒は西暦110年にさかのぼり、平安時代ころから登山による修行「修験道」の広まりとともにこの地方にも富士講が現れ、富士山への登拝と一緒に歴史を刻んできました。北口本宮とは、富士登山道「北口」の「本」の「お宮さん」という意味で、「北口の起点」であるということと、古くから継承されてきた「麓で祭祀を行う場所」であることを表しています。

北口本宮から富士山五合目までは距離にして約12km、高低差は約1,300mです。地元を始め山梨県内では、小中学校の行事として5合目までの登山が頻繁に行われています。

北口本宮冨士浅間神社 紹介動画

世界遺産、国の重要文化財

北口本宮冨士浅間神社は、富士河口湖町の「冨士御室浅間神社」「河口浅間神社」などとともに、富士山信仰の対象と芸術の源泉の構成資産の一部「富士山域」として世界文化遺産に登録されています。

また、本殿を始め境内11棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。

  1. 本殿(ほんでん)
  2. 東宮本殿(とうぐうほんでん)
  3. 西宮本殿(にしみやほんでん)
  4. 拝殿及び幣殿(はいでんおよびへいでん)
  5. 惠毘壽社及び透塀(えびすしゃおよびすきべい)
  6. 神楽殿(かぐらでん)
  7. 手水舎(てみずしゃ)
  8. 隨神門(ずいしんもん)
  9. 福地八幡社(ふくちはちまんしゃ)
  10. 諏訪神社拝殿(すわじんじゃはいでん)
  11. 社務所( しゃむしょ)

神楽殿(かぐらでん)

神楽殿

1737年頃に村上光清(むらかみこうせい)を中心とした富士講中による境内建物の大修理において建立されたものである。
この神楽殿は、富士山御師により太々神楽が奉納された舞台であり、現在でも神社の祭礼には地元の神楽講により富士山御師より継承した太々神楽が奉納されている。柱間寸法は約6.2mと大きく、虹梁形飛貫(こうりょうがたとびぬき)と頭貫(かしらぬき)で固め、中備に十二支の彫刻を施した蟇股(かえるまた)を据える。富士山信仰と深い関連をもつ重要な建物である。
平成29年11月28日指定

手水舎(てみずしゃ)

手水舎

1745年の建立と棟札にある。木鼻に施された龍や獅子といった彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石など、村上光清(むらかみこうせい)ら富士講中による大修理の集大成となる境内随一の装飾性に富む建物である。
水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士山信仰の霊場であり富士八海の一つとして数えられた「泉瑞」から引き込んだ霊水が、現在も絶え間なく流れ出ている。
平成29年11月28日指定

隨神門(ずいしんもん)

隨神門

大鳥居に続く第二の入り口として随神門がある。門の左右は玉垣を連ねて、神域の中心部と外周部を分かつという意識を強く感じさせる。
1736年の建立であるが、1520年の銘がある随神像の存在や1680年版行の「八葉九尊図」に該当する建物が描かれていることから、村上光清(むらかみこうせい)ら富士講中により新たに再建立されたものと推定できる。
この門は蟇股(かえるまた)に七福神と松竹梅に鶴亀を施すなど彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物で、高い天井により演出される広がりのある空間や太い柱は参詣者に豪壮な雰囲気を与え、当社の表入口を守るにふさわしい門となっている。
平成29年11月28日指定

諏訪神社拝殿(すわじんじゃはいでん)

諏訪神社拝殿

諏訪神社本殿は1927年(昭和2年)に消失し、1976年(昭和51年)に再建された。本殿は1736年に村上光清(むらかみこうせい)を中心とした富士講中により建立されたとの棟札がある。拝殿については、史料などから1737年頃の建立とみられ、建築様式からみても村上光清の大改修による建立といってよい。
現在では浅間神社が所管している諏訪神社も、中世には当地の拠点となる神社であった。浅間神社の広大な神域を包む森を「諏訪の森」と呼ぶのも、こうした歴史によるものである。江戸時代の名残を伝えるのは当拝殿のみであり、当社の歴史を語る上でも欠くことのできない建物である。
平成29年11月28日指定

拝殿、西宮本殿

御神木 桧(ヒノキ)と杉

拝殿を正面に見て、右手に「夫婦桧」、左手に「太郎杉」、そして拝殿の左裏手に「次郎杉」があります。いずれも樹齢千年以上です。

「夫婦桧」は、二本のヒノキが根本で一本になり、地上約12メートルで再び合着していることから「夫婦桧」と呼ばれています。合着木ではありますが、山梨県下では最大のヒノキの巨樹です。

境内の様子
手前に「夫婦桧」、奥に「太郎杉」

吉田口登山道の起点

本殿の右奥に、富士山に通じる登山道の入り口があります。小さな鳥居の神額は「冨士山」と掲げられており、とても厳かな気持ちにさせてくれます。もちろん昔は冨士山五合目というスポットはありません。ここから千年以上ものあいだ、人々は冨士山の頂上を目指してその一歩を踏み出したのです。

毎年この鳥居では、登山道入口(鳥居)に張られたしめ縄を切る「お導開き」が6月30日に行われ、そして翌日7月1日の「お山開き」となります。

吉田口登山道の起点となる「登山門」
「登山門」富士山の頂上に繋がる道

吉田の火祭(鎮火祭)

吉田の火祭り
表通りに並んだ大松明

「吉田の火祭り」は、北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭として、現在は「鎮火祭」という名称で毎年8月26、27日の2日にわたって行われます。とくに8月26日の夜、町中で大松明が焚き上げられる「富士山のお山じまい」の祭として知られています。また「鎮火祭」の名の示すとおり、富士山の噴火を鎮める祭でもあります。

「吉田の火祭」は、長野県の諏訪大社で行われる「御柱祭」、秋田県男鹿市の真山神社で行われる「なまはげ柴灯祭(せどまつり)」を含めた日本三奇祭の一つでもあり、山梨県の無形民俗文化財に指定されています。

大松明

金鳥居と大松明
金鳥居と大松明

燃える大松明
燃える大松明

大松明は、高さ約3m 直径90cmの筍型に結い上げられ、金鳥居のある表通りを中心に約80本が奉納されます。裏通りの個人宅や富士山中の山小屋などでは、井桁に組んだ松明が焚き上げられます。この8月26日夜の町の様子は火の海と表現され、屋根に火の粉が降りかかることもありますが、これまでに一度の火事も起こしたことはありません。ただし松明の近くは非常に高温となり通行には注意が必要です。熱に弱い衣類は避けるようにしないといけません。

大松明への着火
大松明を奉納した人が直接着火します

大松明は、企業や個人で誰でも奉納することができます。奉納した代表者が松明に直接火を付けます

境内案内図

北口本宮案内図

最寄りのバス停

浅間神社前

..富士山駅から徒歩約30分

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富士吉田市上吉田5558