貴舩神社
1223年の鎌倉時代初期に、京都の鞍馬貴船町の貴船神社の御祭神である「高龗神(たかおかみ)」と「闇龗神(くらおかみ)」を、この地に遷して祀ることとなりました。高龗神は山上の龍神で、闇龗神は渓谷の龍神なのですが、共に雨乞いの神でありまた海運の神でもあります。
周辺地域では珍しく海運の神を祀っていたため、戦時中は招集される人たちとその家族が出兵の無事を祈願していました。そして、多くの見送りを受けながら、長浜の岸より船で河口湖を渡って行ったといいます。
この辺りは山と湖に挟まれた土地のため、頻繁に増水や洪水の被害に遭ってきました。そうした水害の被害をくい止めようと、由緒ある京都の貴船神社から御祭神を移鎮してきました。また水害よけの神と同時に、この地に村をおこした開拓者を祀った氏神でもあります。
境内社に「山神社」と「三峰神社」があります。
この貴舩神社は建立以来約800年の歴史がある神社ですが、拝殿などの老朽化が進んでいたため、平成21年より改修の検討が始まり、平成25年に工事が完了しました。また完了の同時期、神社前の交通事故により鳥居がズレて破損してしまいました。そのためしばらく鳥居がない状態が続きましたが、平成26年11月には新たな鳥居が完成しました。
貴船神社本殿及び雨屋
本殿は一間社流造で屋根は檜皮葺です。建築様式などの特徴から、江戸時代後期の建築と推定されています。
富士河口湖町指定有形文化財
貴船神社は京都から分祀された神社で、江戸時代後期に編纂された『甲斐国志』によると南北朝時代の棟札が存在したとの記述があり、古くから長浜の氏神として崇められてきたことがわかります。
現在の本殿は、一間社流造で唐破風をもつ檜皮葺屋根の建築です。浜床が設けられ、奥部左右に脇障子が配され、透かし彫りの彫刻が施されています。建築様式から江戸時代後期の十九世紀のものと推定されます。
雨屋は、拝殿としての機能と本殿を保護する機能を兼ねており、明治二十二年(1889年)に建てられたことが棟札から判明しました。
戦時中は、戦勝祈願のために出征兵が多く参拝に訪れたと伝えられ、関東近県を中心に、県外からの参詣者も多く、航海の安全を祈願した後、長浜の渡船場から出征して行きました。
平成二十五年(2013年)に雨屋の改修工事が実施されました。
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富士河口湖町長浜1204