無戸室浅間神社(船津胎内神社)うつむろせんげんじんじゃ

1673年、富士講の人々を引率して登る富士行者により、富士山への登拝中に洞穴が発見されました。この洞穴がある場所を、浅間明神誕生の地として勧請し洞穴入口に社殿を建立したのが当社の始まりとなります。

洞穴は西暦800年の富士山大噴火で流出した溶岩により形成されたもので、その内部は、あばら・のちざん・子返り・女陰石・胎盤などの人体に似た形状であったため「胎内」と名付けられました。現在では船津胎内樹型と呼ばれています。

富士講での登拝の際には必ず洞穴をくぐり心身を清め、道中の安全や息災を祈願しました。社宝として、富士行者の藤井藤四郎による一本造りの木像が、厨子に入り安置されています。

拝殿の奥に船津胎内樹型への入口があります。もともと胎内樹型を巡る「胎内潜」は、入口から入って洞内を廻り折り返してくるものでした。しかし、現在では出口が設けられており一方通行の順路となっています。

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富士河口湖町船津6603