六角堂(川窪寺屋敷跡)

富士河口湖町指定文化財

1994年に河口湖町(現・富士河口湖町)によって建立され、正式には史跡「川窪寺屋敷」といい、保存施設名として「六角堂」と呼ばれています。湖に浮かぶ不思議なお堂です。

1274年に日蓮聖人の信徒たちによって建てられたお堂ですが、1559年に大雨や雪解により湖水があふれ水没してしまいました。翌年河口湖町内に移築され、現在の妙法寺となっていますが、かつてのお堂の礎石とされた溶岩などが浮島に残されていたため、その史跡を残すため六角堂が建立されました。木造平屋で、高さ約7メートル・延べ床面積は約11平方メートルの小さなお堂です。

陸続きの六角堂
陸続きの六角堂

2013年には水位低下により陸続きとなり、湖の中に建つお堂に歩いて渡れるという珍しい現象で話題となり注目を浴びました。

史跡『川窪寺屋敷』保存施設「六角堂」

日蓮聖人は文永6年(1269年)国家安泰を祈念するため、富士山中腹の地で法華経を暗誦せられ、書写された法華経分を経筒に納められて地中に埋めた。この地が富士山登山道五合五勺の経ヶ岳である。その後、日蓮聖人はしばらく小立の地で説法をし、信者となった村人が鼻曲の地に草庵を建たが、文永11年(1274年)村落に近い、川窪の地に信徒の中心であった妙法、妙吉、日長が御堂を建てた。
このことは、「妙法寺」の草創期からの寺の歴史に関する資料を調査し、まとめあげた文書「妙法寺史録」に記されている。また、史録によると永禄2年(1559年)12月7日、大雨が降り富士山の雪解けにより湖水があふれ、諸所の法華堂は流出し、村落や寺も水没してしまった。そこで、翌年永禄3年(1560年)2月、現在地に妙法寺を移築したとしている。
現在地に移るまでの285年間は、この川窪の地に妙法寺は存在していたのである。このことは小立地区民のみならず、周辺の住民にも寺屋敷などと呼ばれ親しまれていることや、寺の敷石・土台石・踏石などが残されていることからも明らかである。そこで、町ではこの地を史跡として残すべく保存施設としての「六角堂」を建て、長く後世に受け継ぐものである。

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最寄りのバス停

八木崎公園

..徒歩約3分

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富士河口湖町小立1070の先