河口湖新倉掘抜史跡館
富士河口湖町指定文化財
河口湖新倉掘抜は、日本最長の手掘りトンネルです。河口湖の水を新倉村(現富士吉田市)へ引くために嘯山(天上山)の下を掘り抜いた全長3.8kmの灌漑用水です。
江戸時代より、河口湖では頻繁に発生する増水による水害に悩まされていましたが、一方の富士山のふもとの新倉村は、溶岩流の上に位置し水の乏しい不毛の地で「水無し村」と言われていました。そこで河口湖周辺の水害対策と新倉村の新田開発のために、河口湖から新倉村まで山を掘り抜いて水を流す計画が持ち上がりました。
工事は元禄3年(1690年)に始まりましたが、最初の工事は通水せず失敗。江戸末期、弘化4年(1847年)に村民の強い願いで再開、幾多の困難を克服し慶応2年(1866年)にようやく完成しました。
約170年間延べ10万人の人手を要したこのトンネルは、富士吉田市・富士河口湖町の指定文化財で、現在、取水口側の富士河口湖町では「河口湖掘抜」、出口の富士吉田市では「新倉掘抜」と呼ばれそれぞれの指定文化財となっています。
新倉側の出口は現在封鎖されていますが、近くまで行くことはできます。出口から続く石組みでできた水路があり、当時の様子をうかがい知ることができます。またすぐその傍らには辨天神社(べんてんじんじゃ)が鎮座し、掘抜きの通水と共に建立されたと云われています。
ここ「掘抜史跡館」では、掘抜作業を解説した資料や当時の工事道具の展示のほか、壁面いっぱいに作業風景を再現した断面ジオラマや、等身大の人形による「焼掘」(岩盤を焼いて砕く)の様子を現したジオラマがあり、実際のトンネルも約60m奥まで見学できます。
また船津浜の駐車場、山岸旅館の前あたりに河口湖の水を取り込む取水口がありましたが、現在は埋め立てられ、その記念碑が残るのみとなっています。
富士山の噴火により堰き止められた河口湖の度重なる増水によって湖畔住民は永年水害に苦しみ、一方溶岩丸尾上の新倉村(現富士吉田市)は、水不足のため常に悩まされて来た。
この窮状の打開策として今から約三百年前、新倉村民の熱意と領主秋元但馬守の英断により、この正面に見える「うそぶき山」に元禄三年はじめて隧道の掘さくが計画された。
工事は山の東西両側から同時に着工され、苦斗十年に及んだが両坑の喰い違いから無念の涙をのんで断念された。
然し工事は村民の執念で約百五十年後の弘化の末に再開され、当時の幼稚な測量術と工法のもとで二十年間不撓不屈の努力が続けられ、慶応二年世紀の大工事が漸く完成し、その延長は実に四籵に及んでいる。
今は新隧道の開通によりこの掘抜も血と汗の歴史を秘めたまま廃坑となり地下に眠っているが、掘抜の水によって富士吉田市民及び湖畔住民の受けた恩恵は計り知れないものがある。
富士吉田市は新倉掘抜保存会と協力し、我々の遠い先祖の偉業の顕彰と、併せてこの遺跡を永く後世に傳えるため取水口であるこの地に記念碑を建立する。
昭和五十年五月
富士吉田市長 石原茂
『河口湖新倉掘抜史跡館』の営業時間
定休日:水・木曜日
営業時間:11時~14時
入館料:大人500円、小人300円
TEL:0555-72-3060
営業時間などは事前に確認されることをお勧めいたします。また、掘抜の内部は温度も低く、水がしみ出ている箇所も多いので相応の服装を準備下さい。
Gallery
Map
富士河口湖町船津4224-2